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桜の北山で思うこと

北山

子供の頃、墓地なんて怖くて怖くて
とてもじゃないけど、
真っ昼間でも行きたい場所じゃなかった。
ある年の四月
子供の頃には無かった用事を抱えて
北山の急坂を車で一人登っていた。
頂上に近い道の端から広がるサクラの群れの
あまりの迫力に息をのんだ。
異なる種類のサクラが時間と共に、
また山の中でも高さを変えて
違った趣を見せてくれていた。

「三人目だぁ?
俺がお供り爺さんしてやっから心配すんな。」
そんな約束を果たすことなく父親は他界した。
お通夜の席も告別式も自宅。
近所の八十になる婆ちゃんが
「昔の人はよく言ったもんだね。
『死なば十月、中十日』
出来秋がすっかり済んで
葬式の人手や振る舞い物の心配もない。
同じ死ぬなら、こんないい時期に死にたいね。
ここのお父さんは行いが良かったからね……」

北山

本当に昔の人がそう言ったのか、
父もそう思って逝ったのか
ここで言う十月が、婆ちゃんの言の
新暦の十月でないかもしれないとか別として、
隠居の楽しみに支給繰り下げしていた年金を
貰う前に逝ってしまった父に
「いい時期に死んだ」と言われてもなぁ…
日付が変わるというのに、まだ帰らない通夜客を前に
そんなことをぼんやり思っていた。

散る桜残る桜も散る桜

この景色を見ていると樹木葬もいいなと思える。
まだまだ…たぶん40年くらい先の話。
令和終わってるだろうな。
親の法事なんて
正直,ただの口実でかまわない。
どうせやるなら、春がいい。
坊さんも千日早くてOK‼ そう言ってた。
震える寒さから解放されるのも何より。
きれいなサクラを眺めてみんなで美味しいもの食べて
兄弟同士、無事を喜び合ってくれたらいい。

願わくは花の下にて我死なんこの如月の望月の頃

栃木県にゆかりの深い藤原秀郷の八世孫
西行法師(俗名 佐藤義清)が詠んだと伝えられている歌。
少子化が止まらない世の中、
一人っ子長男・長女の結婚も当たり前。
そうなれば、お墓は二つ付いてくる。
両方のお寺とお付き合いよろしくねとお願いするのも
申し訳なく思えてきた。お年頃だ。
 墓終い 親の仕事と おらが春 
        (十七文字でスミマセン)